教員志望の大学生の日記

大阪府在住 20歳 大学生です。国語の教員を目指しています。 近頃はいろんなことに興味が惹かれとりあえずやってみよう精神で動くことをモットーに生活しています。自分の考えたことや、感じたことを残したいと思い、 ブログという形で始めることにしました。

教養について考えてみた!!

皆様こんにちは。

国語教員を目指している 和田虎太郎です。

 

今日は、「教養」という言葉について少し思ったことを書きます。

 

 

一般的に「教養」と言われれば、一般的な知識や、常識ということが思い浮かびます。

それに、豆知識的な、特定の場合を除き役に立たないような情報のことも言います。

 

つまり簡単に言いかえるならば、「知識」と言い換えることができます。

 

 

今述べた教養という言葉のイメージは、おそらく多くの人が共有できると思います。

 

しかし、共有しているイメージのその中身が違う場合もあるということを、私たちは知っておかねばならないと私は思うのです。

 

というのも、生活様式によって、必要な言語や計算は違います。

 

例えば、日本人にとっては当たり前である日本語も、地球の裏側ブラジルではほとんどの人はわからないのです。

 

計算で考えた場合、日本は9×9までしか覚えてないのに対し、インドでは、2桁×2桁の計算も一瞬にして計算してしまうと言います。

 

これらは極端な例ですが同様に、小さなころからの教育の違いによる「当たり前」にできることの違いだと考えます。

 

 

ここから見えてくるのは、「教養」というのは、文化や生活環境によって姿を変えるということです。

 

 

 

この考え方はかなり大事で、実際に私のバイト先の塾では、ほぼ全ての生徒が携帯を持っていて、SNSを使っています。

 

私が小学生の頃は、せいぜい持っていてもガラケーで、それも2割くらいだったと思います。

 

 

つまり、ここ10年間で小学生の「教養」として、携帯電話の利用という新たな力が定着しているのです。

これは誰かが指示したのでもなく、生活環境の変化の中で自然と身についたものです。

 

 

身近にあるこのような問題を言語化していくことで、「教養」という言葉の意味の再確認につながったのと同時に、自分の当たり前を押し付けるのは、相手にとっては当たり前じゃないことも往々にしてあるということも改めて考えなおすきっかけになりました。

 

 

拙い文章力と、内容ですが、ここまで読んでいただいきありがとうございます。
 

また次回のブログもぜひ、よろしくお願いします。